松川事件無罪確定60周年記念全国集会     全国各地からのべ800人が集う

 松川事件は、1963年9月12日、最高裁は検察の上告を棄却、被告全員が無罪確定しました。本年は、無罪確定して60年。昨年12月にNPO松川運動記念会のよびかけで松川事件無罪確定60周年記念事業実行委員会が結成されました。実行委員会は、松川裁判、松川運動の教訓を学び、今に生かし、後世に伝えるために松川事件無罪確定60周年記念全国集会を企画。冤罪とたたかっている犠牲者とその支援者を激励し、再審法改正の一翼を担うことを確認しました。

「全国集会」は、福島県が誇る勇壮果敢な霊山太鼓の演奏でオープニング。

主催者を代表して挨拶・今野順夫実行委員長             挨拶文はこのページの最後に掲載

歓迎の挨拶 三浦浩喜福島大学学長                  メッセージ代読・初澤敏生福大教授教授 このページの最後に全文掲載

記念講演 鴨志田祐美弁護士          テーマ「冤罪の歴史から再審法の改正へ」

 記念講演で、鴨志田祐美弁護士は、松川事件で決定的な証拠となった「諏訪メモ」出現にふれ、「最高最上告審のときに『諏訪メモ』出てきた。通常の裁判で、決定的な無罪になる証拠が出てくるのはほとんどない。証拠となる『諏訪メモ』出てきたことは、偶然というだけでなくこれは弁護団のたゆまぬ活動・努力によるもの」と強調し、本題に入りました。

 鴨志田さんは、再審とは確定した裁判に誤りが見つかった場合に「裁判のやり直し」をする手続きです。一度有罪が確定し、3審制度を使い切って有罪が確定となる。確定しても無実の人が処罰されても良いとはならない、と述べました。再審法改正の必要性については、刑訴法第4編「再審」には19条しかなく、新しい憲法の中で改正できなかったことにふれ、再審における証拠開示制度の整備、検察官の再審開始決定に対する不服申立の禁止、刑の執行停止に関する規定の整備など再審のためのルールをつくる必要性をよびかけました。再審法改正に向けた運動として、地方議会に再審法改正を求める意見書の提出、団体での「再審法改正」の決議採択、県市町村の首長に働きかけることなどを訴えました。最後に、「生の事件が動いている。再審法改正に時間はかけられない」と、強調されました。最後に、鴨志田さんは、「松川事件で自分の心が動かされたのは、広津和郎起案の「松川の塔」碑文です。そこには・・・階層を超え、思想を超え、真実と正義のために結束し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立ち上がったのである・・・人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である」と紹介し講演を綴じられました。

松川事件無罪確定から60年 「回顧と展望」 20分

 この映像は、松川事件発生(1949年8月17日)から高裁差戻審で無罪判決(1961年8月8日)を受けるまでの映像。1963年9月12日の最高裁での無罪判決の場面は残念ですがありません。劇的な場面は、何と言っても仙台高裁門田裁判長の判決で「被告人は全員無罪」と発声。被告とその家族、弁護団、支援者の喜びとどよめきが湧き起こります。

 もう一つの場面は、岡山県倉敷民商弾圧事件の禰屋町子さんが福島大学松川資料室を訪問された感想・訴えがあります。おすすめです。

2日目 松川合唱 福島年金者「うたう会」の皆さん

シンポジウム「冤罪と刑事司法」

コーディネーターの高橋有紀さんは、「4年前の松川事件70周年記念全国集会で阿部市次さんは、松川事件の元被告としてお話しをされていた。桜井昌司さんはシンポジウムに出演されていた。阿部さんは松川事件の語り部として、桜井昌司さんは冤罪犠牲者に寄り添い支援されていた」と、二人のエピソードにふれ、シンポジストに桜井昌司さんとの出会いについて求めました。

桜井昌司さんは、癌と闘っていましたが、8月に亡くなられました。桜井さんもシンポジストで出演が決まっていました。「福島には絶対行くよ」言ってました。

 安らかに。

 上の写真は桜井さんの等身大のパネルです。

桜井昌司さんとのエピソード

青木さん:1審判決で無罪と思っていたら、無期懲役の判決で絶望していたときに桜井さんが面会にきた。桜井さんは、「青木さんは、ガソリンに火を付けたと言ってるが、火を付けた人が死んでしまう。俺の裁判より簡単だ。勝てるよ」と言った。この面会が自分にとって、裁判で勝つ希望をもらった。桜井さんとは誕生日が一緒。

笠井千晶(ドキュメンタリー監督):「袴田巌さんとの関わりの中で桜井さんと初めて会った。ストレートな話し方だったり、ユーモアたっぷりの話をする方だった。冤罪で苦しんでいる方など他人に勇気をを与えて来た人だったと思います」と語りました。

冤罪 東住吉事件冤罪  袴田事件 について

・青木さん:東住吉事件が起きたのは、阪神大震災の95年7月22日、住宅が火事になり11才の娘さんが死亡。火災の原因は不明だったが、警察は勝手なシナリオを作った。当時、マンションを購入したいと、その諸経費や娘の学資保険を掛けた。警察はマンションを買うために娘に生命保険を掛け保険金の受取を母親にしている。犯人を家族と決め、消去法で保険金目当ての母親と決定づけた。

・笠井さん:第2次再審で隠されていた証拠が出てきた。血痕が着いた「5点の衣類」の証拠。衣類は、小さくて袴田さんは着られない。カラー写真の色の問題もある。拷問で「自白」に追い込まれた。冤罪犠牲者。

・青木さん:鬼のような母親と言われた。娘殺しの罪名をなくしたい。これが一番辛い。警察・検察のガソリンに火を付ける火災実験で警察官は「危ない危ない」と言って逃げている。これでも判事は認めない(青木が火を付けたと)。ターボライターでガソリンに火を付ける。これがどうなるか。再現実験しかないということでやった。検察官は適当なシナリオで私を犯人にした。

・笠井さんは、袴田さんは6人兄姉で、皆が弟を見捨てず支えてきた。これが一番大きいと思います。拘置所にも面会に何度も行っている。秀子さんは、兄姉全部の思いを背負っている。だから、最後の無罪までやらないといけないと、決意されている。ボクシング界の支援は下火になる。しかし、今は若い人が応援している。

フロアーからの質問に答える

 

Q・獄中にいる冤罪者に激励することについて

 A・青木さん:はがきや手紙が一番、面会だ。何を書いたら良いのか分からない。といこともあるが、思っていること、自分のこと何でも良いのです。

 A・笠井さん:映画「拳と祈り」袴田巌の生涯は、現在進行形の映画。完全版は、再審無罪の瞬間を見守っていきたいということを共有してもらいたいからです。

 

 シンポジウムの締めでコーディネーターの高橋有紀さんは、袴田さんのドキュメンタリー映画 「拳と祈り」袴田巌の生涯 の上映に触れ、10月4日から5日、フォーラム福島で、袴田秀子さんと笠井千晶さんのトークがあること、参加者に伝えました。

第9回松川賞授賞式は、別メニューを開いて下さい

「全国集会」アピール採択

日本民主青年同盟福島県委員会委員長七海栞里さんによって「松川事件無罪確定60周年記念全国集会」アピールを提案。拍手で採択されました。

                          松川事件無罪確定60周年記念全国集会アピール

松川事件・松川裁判・松川運動の歴史に学び、人権と民主主義を発展させ、

冤罪を許さず、再審制度の改正を実現しよう!

1963年9月12日の最高裁判決で、松川事件被告の全員無罪が確定してから60年が経ちました。

私たちは、この60周年を記念し、松川事件・松川裁判・松川運動の歴史に学び、松川事件のような謀略事件や冤罪事件が再び繰り返されることを許さず、さらに日本の民主主義、平和の確立を願って、全国から集いました。

松川事件では、1949年8月17日未明の、東北本線の金谷川駅~松川駅間での列車転覆事件で、20名の労働者が逮捕・起訴され、第1審福島地裁では全員有罪(5人が死刑)、第2審仙台高裁でも17名が有罪(4人が死刑)となった。これらの判決は、自白の強要に目を覆い、その内容の不合理、矛盾、客観的証拠との不一致を無視した恐るべき判決であった。この不正義に対して、公正な裁判を求める運動が、全国津々浦々で展開され、文化人を含む広範な国民的運動の力で、最高裁で全員無罪を確定した。現行憲法の人権保障を実現するものであり、これを継承し、発展させる責務を負うと考える。

しかし、この判決後も、数々の冤罪事件が起き、広範な支援活動の中で、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件における死刑判決を、再審無罪を実現した。松川運動が、再審救援運動に大きな影響を与え、最高裁白鳥決定(1975.5.20)を生み出す背景となったといえる。

60年前の松川事件無罪確定の意義を受け継ぎ、その運動を継承することは、今なお継続している冤罪事件の再審救援運動に生かすことである。本集会では、記念講演「冤罪の歴史から再審法の改正」(鴨志田佑美弁護士)とともに、再審事件関係者によるシンポジウム「冤罪と刑事司法」を通じて、冤罪事件と再審法制の問題について、特に、深く論じられた。

その意味でも、元被告をはじめ、広範な松川運動の経験者からの貴重な資料提供から開始した「福島大学松川資料室」がさらに充実し、ユネスコ「世界の記憶」遺産に登録される運動を強化し、国家権力に虐げられている世界の市民の「砦(とりで)」となるべく、さらに共同して前進しよう。

 

2023年10月1日

 

           松川事件無罪確定60周年記念全国集会 参加者一同

閉会        挨拶 中井勝己副実行委員長

閉会の挨拶

 中井勝己副実行委員長は、「全国集会」参加者は400人と想定していた。しかし、昨日だけで500人を超え、2日間でのべ800人を超えた。資料が渡らなかった方、立っておられた方がおられたこと実行委員会として「大変ご迷惑をおかけしました」等と、お詫びしました。

 記念講演された鴨志田祐美弁護士は、再審法改正については、秋から来年春までが正念場。間もなく袴田事件の裁判が始まる。この集会は時宜にかなった」と話されていた。と伝えました。

 最後に、松川運動を若い人たちにつないでいくことが課題だ。皆さんと一緒に議論を重ねていきたい等と2日間の参加に謝意を述べました。

主催者挨拶 今野順夫実行委員長

    松川事件無罪確定60周年記念全国集会<主催者挨拶>       2023.9.30

 本集会の実行委員長を務めている今野です。皆さんにおかれましては、大変ご多忙な中、全国から、松川事件無罪確定60周年記念全国集会のために、遠く福島までお出でいただき、ありがとうございます。心から感謝申し上げます。

 戦後最大の謀略事件、最大の冤罪事件と言われた、松川事件では、全くの証拠もなく、20名の労働者が突然、犯人に仕立てられ、その家族も含めて、大変に過酷な生活を強いられました。

第一審福島地裁の判決では、死刑5人を含む20人全員を有罪とし、第2審仙台高裁でも、死刑4人を含む17人を有罪としました。しかしながら、拡充された弁護団の力、さらに全国津々浦々に組織された「松川守る会」の運動、広津和郎氏をはじめとした広範な文化人の運動、国内外の公正裁判を求める大衆的な運動の力で、1963年9月12日に、最高裁は被告全員を無罪とする判決を確定しました。この時まで、無実の罪で逮捕されてから14年が経過していました。この無罪確定判決から、今年は、60周年を迎えました。

しかし、冤罪防止を訴え、語り部活動に積極的に取り組んできた20人の元被告のなかでただ一人ご健在だった阿部市次さんも、残念ながら昨年10月に99歳でご逝去されました。長い間のご苦労・ご活動に、心から尊敬と感謝を申しあげるとともに。希望に満ちた青春を一方的に奪った国家権力に対する憎しみを禁じえません。

こうした松川事件裁判の運動は、冤罪事件等で闘っている方々に大きな励ましを与えました。私自身は、大学に入学した1963年に、最高裁判決があり、輝かしい歴史を受け継いだ者ですが、宮城県には、松川事件ではなく、松山事件がありました。一家4人の殺人、放火事件です。それは1969年11月1日の最高裁判決で死刑判決が確定していました。しかし、家族などを中心に、無実を訴え、1961年3月に仙台地裁古川支部に再審請求をしていますが、1964年4月に棄却され、1969年5月に最高裁でも特別抗告を棄却しました。さらに第二次再審請求を行ったが仙台地裁で、棄却されましたが、仙台高裁は、弁護側が提出した新証拠の評価に踏み込まないことが刑事訴訟規則に違反するとして、審理を仙台地裁に差し戻す決定をしています。自白調書では、犯行後帰宅し、返り血を浴びたまま寝た。布団の襟元についている血痕を証拠にしていますが、そもそも、その布団は、事件逮捕から暫く経って、自宅から押収された物であり、法廷に出されたものは、押収された布団とは異なる別の襟当だった可能性があった。結果的に再審無罪を勝ち取ったが、1984年7月1日の判決であり、28年7か月の獄中生活を送ることとなった。

いまだに、仙台での学生時代に、一番町・青葉通りで、お母さんが息子の無実を訴えていたことを記憶しています。松川事件の被告が、宮城刑務所内で斎藤幸夫さんに会う機会があり、国民救援会などに相談するよう勧めたと聞いています。松川の被告は、獄中で、冤罪事件の救援のためにも闘っていたと思います。私は、偶然、宮城の松対協の小田島さんに連れられて、松山事件の現地調査に参加でき、自白通りの経路を歩き、無実の確信を強めたものです。

再審が開始した事件も、無罪の結論得るまでには、大変な苦労が必要だったのですが、松川事件の無罪確定への経験が、大きな役割を果たしているといえます。

松川事件無罪確定60周年を記念する本日の集会では。いまなお絶えることのない冤罪事件の再審救援運動に生かし、時代遅れの再審法を改正していく契機になればと期待しています。また、福島大学の松川資料室を、国家権力によって虐げられている世界の市民の「砦」になるよう、ユネスコ「世界の記憶」遺産に登録される運動が強化されることを期待しています。

 

本集会において、改めて松川裁判の教訓を引き継ぐとともに、人権と民主主義を発展させていく決意を固める集会になることを期待して、主催者としての、開会と歓迎の挨拶に代えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

                             実行委員長 今野順夫

歓迎の挨拶 三浦浩喜福島大学学長

松川事件無罪確定60周年記念全国集会挨拶 本日は松川事件無罪確定60周年記念全国集会が盛会の内に開催されますこと、心よりお祝 い申し上げます。(先約のため、出席できませんことを、お詫びいたします。) 福島市松川町で列車が転覆した「松川事件」は、1949(昭和24)年8月に起こり、早 くも74年の歳月が流れ、去る 9 月 12 日には、松川事件が無罪確定して60周年を迎えまし た。 松川事件の現場近くにある福島大学は、「松川事件」に関わるあらゆる関連資料の収集を続 け、10万点以上を有する「松川資料室」を学内に設置し、全国から訪れる多くの人々に、松 川事件の記憶を新たにする貴重な寄辺となるべく協力してきております。福島大学にとって松 川資料は、後世に語り継いでいく、全国に誇る大変貴重な学術資産であると位置づけており、 関係資料の収集・整理、研究・教育の展開、松川資料室からの情報発信等を行ってきました。 松川資料の安定的保存とともに、戦後最大の冤罪事件ともいわれる「松川事件」、占領および その終了とともに紆余曲折を経た「松川裁判」、そして無実の被告を救出するために全国に巻き 起こった国民的「松川運動」、その事件関係の記憶を形にとどめ、後世に語り継いでいくことの 重要性は今もって大きいものがあります。そして、この60周年という節目の年を迎え、今後 も引き続き後世に語り継いでいくこと、風化させないという意を新たにすることが重要である と考えます。本集会が、改めて松川事件の意義を再認識し、松川運動から学び、今に生かし、 後世につたえる契機となることを願っております。 2020年(令和2年)からは、新型コロナウイルスの流行の影響により、松川資料室も見 学者の立ち入り制限を余儀なくされましたが、今年5月8日から新型コロナウイルスは5類感 染症に移行し、これまで実施してきた制限も緩和されました。今後は室長を中心に松川資料室 のあり方や、教育研究に資するための資料整理等について検討していく予定です。 結びに、本集会の開催に当たり、多大な御尽力をいただきました実行委員のみなさまをはじ め、松川運動記念会など、関係の皆様の御支援・御協力に対し、心から感謝を申し上げるとと もに、本集会が実り多いものとなることを祈念して、挨拶といたします。ありがとうございま した。

                                                                  令和5年9月30日 福島大学長 三浦 浩